2024/06/14

桜の花と日本文化のつながりを知る|お花見が楽しくなる桜の知識をご紹介

寒かった冬が終わりを迎えて暖かくなってくると、外へ出かけたくなりますよね。
中でも、春のイベントとして真っ先に思いつくのが「桜のお花見」という方も多いはず。

毎年見ても飽きない桜の花には、他の植物にはない特別な魅力が詰まっているような気すらします。
どうして、桜の花はわたしたち日本人の心をつかんで離さないのでしょうか。その理由のひとつは、桜と日本文化には切っても切れない深い関係があるからかもしれません。

本記事では、日本人が昔からどのように桜と付き合ってきたのか、文化や歴史上のストーリーを交えつつ、詳しくご紹介いたしましょう。

日本神話に見る桜の花

日本神話に見る桜の花

日本では、どれほど昔から桜の花が存在していたのでしょうか。

桜の存在が記されている最も古い書物のひとつとして知られているのが、今から千年以上前に書かれた日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書紀」です。

古事記によると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)は、天照大御神の命令を受け、日本を統治していました。
彼は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)という美しい姫に求婚をしていたのですが、この姫は、「はかなく散るものの象徴」である桜の花として描かれています。
「桜」という名前が、この「咲耶」から転じたという説があるのも納得ですね。

また民俗学によると、「桜」の名称は違う由来があると考えられています。
例えば一説によると、田んぼの神である「サ」と、神の御座である「クラ」が結びついて「さくら」となったとか。

昔の農民は、満開の桜には田植えから収穫まで見守ってくれる田んぼの神様が宿っていると信じ、桜を大切に崇めていたのですね。

「桜」という言葉がどのようにして生まれたのか、歴史的書物や学問から読み解いてみると、はるか昔から、日本人は桜を愛してきたということがよくわかります。

それでは、それだけ日本と深くつながってきた桜の木を鑑賞する「お花見」の文化はいつ頃から始まったのでしょうか。

桜の花を愛でる文化は「平安時代」から存在した

桜の花を愛でる文化は「平安時代」から存在した

次に、現代でもおなじみの「お花見」という文化にはどんな歴史があるのかご紹介しましょう。

お花見の始まりは奈良時代の梅の花

桜の花を愛でる「お花見」の始まりは、奈良時代の貴族が始めたイベントであると考えられています。
ただ、この頃は桜ではなく、中国から伝わってきた梅の花を鑑賞していたそうです。

この時代の貴族たちは、色鮮やかで香り高い梅の花を愛し、もてはやしてきました。
「万葉集」で詠まれた歌の数で見てみると、桜の歌がわずか43首であるのに対し、梅の歌は110首収められています。
いかに梅が、奈良時代の貴族たちの心をつかんでいたのかわかりますね。

平安時代に桜の花でのお花見へ

平安時代に入ると、貴族のお花見の対象が桜の木へ変わっていったとか。
日本人がどれほど長い間、桜を見て春の訪れを楽しんできたのかわかりますね。

事のきっかけは、唐(当時の中国)へ派遣していた遣唐使が廃止されると、日本独自の和風文化である国風文化が花開いたこと。

また、桜が好きだった仁明天皇が在位していた時期に、平城京の紫宸殿(ししんでん)に植えられていた梅が枯れ、桜に植え替えられました。
これも、桜文化のはじまりを示す象徴的な出来事として知られています。

文献に記された最も古い桜のお花見とされるのは、平安時代の初期である天長8(831)年に嵯峨天皇が神泉苑で行った「花宴の節」です。
以降、このお花見は宮中の恒例行事となり、「源氏物語」の「花宴(はなのえん)」にも、その様子が描かれています。

鎌倉・室町時代に武士階級へ広まる

このように貴族中心に楽しまれていたお花見ですが、鎌倉・室町時代に入ると、その対象は武士階級にまで広がります。
特に、豊臣秀吉が主催した「吉野の花見」や「醍醐の花見」が有名です。

文禄3年(1594年)に行われた「吉野の花見」は、徳川家康や伊達政宗などの著名な武将たち、茶人や公家など、総勢5千もの人々が集って茶会や歌会を開いたもの。
吉野の花見は5日間に渡って続き、史上最大のお花見として知られています。

その後、慶長3(1598)年に開催された「醍醐の花見」では、醍醐寺に700本の桜が移植されました。こちらも1300人を招いて、盛大に楽しんでいたようです。

この秀吉による大規模なお花見会をきっかけに、花見は宴会行事として日本に定着していきました。
この風習が庶民にも伝わり、江戸時代になると一般的な春の行事として定着していったのです。

お花見に欠かせない「花見団子」も、江戸時代から始まったものだとか。人々は桜を鑑賞しながら、三色のお団子を食べて、春の訪れを味わっていました。
素晴らしいお花見文化を後世につないでくれた昔の人たちに感謝ですね。

桜の花は季語としても人気があった

桜の花は季語としても人気があった

桜の花は、連歌や、俳諧、俳句において用いられる季語としても人気がありました。

例えば、その年の春に初めて咲いた桜の花を意味する「初花(はつはな)」や、桜の花に降り注ぐ雨を表した「花の雨」。
他にも、春の終わりにわずかに残って咲いている桜の花を指した「残花」などがあります。

美しい桜の花にまつわる季語に想いをのせて、風流な歌を作っていたのですね。

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日本が誇る「三大桜」とは?

日本が誇る「三大桜」とは?

昔から今まで、桜のお花見を楽しんできた日本人。日本各地に、たくさんのお花見スポットが存在しています。

その中でも、三大桜と呼ばれる福島の「三春滝桜」、山梨の「山高神代桜」、岐阜の「根尾谷淡墨桜」は別格です。
これらの三大桜は、大正時代に制定された「史跡名勝」の中から選出されていて、天然記念物にも指定されているんですよ。

三大桜を三大桜たらしめる理由は、樹齢の長さや木の大きさ、景観としての美しさにあります。

この春は、三大桜を見て、贅沢なお花見の時間を楽しんでみませんか?

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はるか太古の時代から、日本人の文化とともにあった桜の花。歴史的・文化的な背景を知ると、桜が今を生きるわたしたちの心をもつかんで離さないことにも納得ですね。暖かくなってきたら、友だちや家族とお花見に出かけて、同じように桜の花を愛してきた昔の人々の生活に想いを馳せてみませんか?

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